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既に近第3旅団を割いたため配下がこの旅団だけとなっていた近第2師団長、ルドルフ・オットー・フォン・ブドリツキー中将は、サン=アイル北郊外に待機していた旅団を直ちに出発させました

 ブドリツキー 旅団の出発を見届けたアウグスト王子は急ぎサント=マリー部落へ騎行し、激戦の後に部落へ入った近第1師団長フォン・パーペ少将を呼び出します

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 パーペ将軍の顔を見るなり歩み寄り、近第1師団にも即時前進を命じたアウグスト王子に対し、ザクセンのアルベルト王子と今後の打ち合わせを終えた後、冷静にザクセン軍団の行動を観察していたパーペ将軍は、騎乗の軍団長に対し異を唱えるのでした

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「アルベルト王太子殿下はザクセン軍によるロンクール北方への迂回を成功させるため、軍の主力を弟君ゲオルグ殿下に預けましたが、その縦列は未だロンクールの北に出現せず、砲撃を行うザクセン軍の砲列も未だ準備が整っておりません

サン=プリヴァーの地は要塞に等しい防御堅固な難攻の地であり、それに対し射界の開けた正面から攻撃するというのはいかがなものでしょう

ザクセン軍による北方からの助攻がない限り、成功は覚束ないのではないでしょうか」 アレクサンダー・アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・パーペ将軍はこの時57歳

旧都ケーニヒスベルクの余り裕福とは言えない貴族家出身でした

5歳年上の兄に、ケーヒニグレーツの戦いでは歩兵第1旅団を率いプール・ル・メリットを綬勲したヨハン・アウグスト・ヴィルヘルム・メイナード・アドルフ(最終階級は中将)がいます

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 ベルリンの名門ギムナジウムを卒業したパーペは、17歳で兄の後を追って士官候補生として陸軍に入隊、由緒ある近衛歩兵第2連隊の第7中隊に配属されました

その後、同連隊所属のまま軍隊生活を送りますが、異動がなくほとんど戦場にも出なかったせいか37歳で大尉、43歳で少佐とやや遅めの昇進(と言ってもモルトケも同程度)でした

少佐に昇進した直後にポツダムの陸軍大学への入学を許されて4年間学び、卒業後に晴れてフュージリア(第3)大隊長として連隊に戻ります

この大隊長時代に彼最大の危機が訪れ、コレラの流行により平時800名定員の大隊が2ヶ月で286名となってしまうという悲劇を経験しています

 パーペの転機は大佐に昇進した1966年(53歳)に発生した普墺戦争で、近衛第2連隊長となったパーペはケーニヒグレーツの会戦で大活躍しました(活躍のほどはケーニヒグレーツの戦いの項を参照して下さい)

戦後、兄と共にプール・ル・メリットを綬勲し少将に昇進、近衛第2旅団長となります

 そして70年7月、普仏戦争の勃発により第3軍団長に栄転したC・アルヴェンスレーヴェン中将の後を受け、パーペは栄えある近衛第1師団長となったのでした

 後にヴィルヘルム2世皇帝は功成った彼を評し、「典型的なプロイセンの兵士」と多少皮肉を込めて語りましたが、パーペが卒業したギムナジウムの校長は、いたずら好きで機転の利く青年を見て「彼は将来将軍になるか盗賊の頭になるに違いない」と鋭い予言をしていたのです