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パリの包囲が確実となると、独軍はそれまで「先送り」にして来た主要後方連絡線上の障害であるトゥール要塞の攻略に、いよいよ本腰を入れて取り掛からねばならないこととなりました

トゥール近郊・モーゼルに架かる鉄橋 トゥール要塞(ナンシーの西21.5キロ

この後拙作で幾度も取り上げることとなる中仏ロワール河畔の都市Toursと間違わぬよう注意が必要です)は西側をライン~マルヌ運河、東側をモーゼル川と数本の支流に挟まれて存在する星形稜堡要塞で、直径はおよそ1,200m、北東方向以外は高地丘陵を控えた谷間にあり、1870年当時は市街地を取り囲んで9個の稜堡とその隔壁外に築かれた6ヶ所の付属小堡塁から成っていました

要塞を取り巻く堀は全て水が満たされており、その周囲の低地は運河や河川に設けられた水門から排水すれば速やかに氾濫地帯とすることが可能でした

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 このように、歩兵の正面攻撃に対しては万全とも言える要塞でしたが、残念ながらこの要塞都市を設計したのは天才肌の要塞設計家ドゥ・ヴォーバン(18世紀初頭)で、普仏戦争時(19世紀後半)とは大きく異なり大砲の有効射程が1,000m未満の時代です

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 トゥール要塞は前述通り周囲が高地に面して見下ろされており、敵の要塞接近を防ぐ分派堡塁もなく、砲弾除けの掩蔽も数がありませんでした

よってセダン要塞ほどではありませんが、弾道がほぼ直線を描く重カノン砲など攻城砲の砲撃には大変弱く、標高130m余りのコテ・バリーヌの高地(要塞の北西2.5キロ)やその北に連なる標高約340mのモン・サン=ミシェル山(要塞の北北西1.8キロ)、東側のドマルタン(=レ=トゥール

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要塞の東南東1.3キロ)の南東側高地と要塞南西側のショロワ(=メニロ

要塞の西南西5.7キロ)前面の丘陵地域などは攻める側にとって理想の砲台建設地となり得ました

 各高地斜面にはこの地方特産のワイン用ブドウ畑が広がり、これは要塞に接近する際に遮蔽となるので攻める側に有利で、要塞自体も北と西側は斜堤ぎりぎりまで樹木が茂っており、これも堡塁や防壁に接近する歩兵の遮蔽となりました

 トゥール要塞の指揮官は騎兵畑のオーギュスト・ウジェーヌ・ユック少佐で、既述通り独野戦軍の攻撃を再三防いで来ました

 要塞の兵力はおよそ2,300名、内訳は正規軍の戦列歩兵第63連隊補充大隊が500名、オーブ県とトゥールの護国軍第2と第4大隊が1,200名、胸甲騎兵第4連隊の補充中隊が120名、護国軍要塞砲兵の4個中隊が410名、そして野戦憲兵と輜重兵が合せて60名でした

大砲は各種70門以上、糧食も備蓄されており、正攻法では攻略までに随分と時間を浪費する可能性がありました

 対する独軍側は9月初旬時点でアレクサンダー・ゲオルグ・フォン・ヒッパー大佐率いる独第三軍の兵站総監部所属部隊(マグデブルクの3個後備大隊)と第3軍団の要塞砲兵第3「ブランデンブルク」連隊第4と第6中隊で、マルサル要塞(「独第三軍ナンシーへ(後)」参照)で手に入れた24ポンド要塞重砲による砲撃が待たれるところでした(「セダン会戦までの独軍後方事情/独第三軍の後方連絡(後)」も参照してください)

8月中旬のトゥール 胸甲騎兵士官と護国兵 この砲撃準備は、折からの悪天候と高地斜面の織り成す難しい地形によって随分と時間が掛かり、ようやく9月9日に要塞西方のメッス~パリ鉄道の堤に展開する歩兵部隊の支援によりコテ・バリーヌ高地斜面に3個の砲台が完成しました

 攻城司令官フォン・ヒッパー大佐は要塞のユック司令官に砲撃を通告し、ユックが降伏しないことを知ると10日の午前7時から砲撃を開始します

 しかし、このマルサル要塞の旧式な青銅製前装24ポンド砲では要塞の稜堡を破壊出来ず、市街の数ヶ所に火災を発生させるのが精一杯でした